東京高等裁判所 昭和63年(行ケ)44号 判決
一 請求の原因一(特許庁における手続の経緯)、二(本願発明の要旨)及び三(審決の理由の要点)の事実は、当事者間に争いがない。
二 そこで、原告主張の審決の取消事由の存否について判断する。
1 成立に争いのない甲第二号証、第六号証によれば、本願明細書には、本願第一発明の技術的課題(目的)、構成及び作用効果について次のとおり記載されていることが認められる。
(一) 本願第一発明は、針を通して注射により投与される型のワクチンをパツクし分与するための新規な装置に関する(本願明細書第五頁第七行ないし第一〇行)ものであつて、一般に、ワクチンは、培養タンクから採り出された後に澄まされ、希釈化され、薬びんあるいはアンプル内に細分され凍結真空乾燥されるが、この凍結真空乾燥されたワクチンに対して低価格の一回分の量の分配装置を提供することが要求されながら長きにわたつて解決されていない(同頁第一一行ないし第六頁第二行)との知見に基づき、凍結真空乾燥されたワクチンに対して改良され、かつ簡素で複雑でない低価格の一回分の量の分配装置を提供することを技術的課題(目的)とする(同頁第三行ないし第八行)。
(二) 本願第一発明は、右技術的課題を解決するために、その要旨とする特許請求の範囲1(昭和六〇年八月二八日付け手続補正書第三頁第二行ないし第一六行)記載の構成を採用したものである。
(三) 本願第一発明は、前記構成を採用したことにより、「注射器を孔開けし、塵防御部を除去しそして注射器内に注射液用の水を引き入れ、さらに塵防御部を動かして除去する他に必要とされる準備のための操作なくして注射が用意される。ワクチンの一回分の量の濃度はこうして製造現場で決定されそして投与する際の気まぐれには係らない。さらに、本発明のワクチンを入れている注射器の貯蔵中および積送中にワクチンが漏れる危険性がなくなる。」(本願明細書第一七頁第九行ないし第一八行)という作用効果を奏するものである。
2 第一引用例及び第二引用例記載の技術内容並びに本願第一発明と第一引用例記載のアンプルとの一致点、相違点が審決認定のとおりであること、右相違点のうち、本願第一発明のプラスチツク材料が室温において弾力的であるのに対し、第一引用例にこのことが明記されていない点について、第二引用例に、本願第一発明と同種の皮下注射器の本願第一発明の収容器部と同様な構造と同様な機能を有する容器は、弾力性を有するプラスチツク材料から成るものであることが記載されていることは、当事者間に争いがなく、この相違点についての審決の判断、すなわち本願第一発明のこの構成が当業者において容易に想到できたものであることは、原告の認めて争わないところである。
原告は、右相違点のうち、収容器内に人体に投与されるのに適当な量の凍結真空乾燥されたワクチンが密封されている点についての審決の判断は誤りである旨主張する。
しかしながら、本件優先権主張日当時、液状ワクチンをアンプル内に細分し、それから凍結真空乾燥すること、注射器の収容容器において「アンプル」という用語は、通例一回の投与量を含むものを意味しており、数回分の薬剤を含有するバイアル(薬びん)と区別して用いられていること、及び血清等の生物学的製剤を最終容器に分注し乾燥する方法において、一回の投与量を分注する容器としてアンプルを使用することは、いずれも周知であつたことは、当事者間に争いがなく、成立に争いのない乙第二号証(清水藤太郎著「薬剤学」株式会社南山堂昭和三三年一一月一五日発行)によれば、その「固形注射剤」の項に、「溶液又は懸濁液とすれば不安定な化学薬品は乾燥状態でアンプルに充填し用に臨み水に溶解させる。」(第三六一頁第一八行、第一九行)と記載されており、右技術文献が「薬剤学」について一般的に記述した文献であり、本件優先権主張日の約一七年前に刊行されていることにかんがみ、乾燥状態の固形注射剤をアンプルに密封し使用に臨み水に溶解することは本件優先権主張日当時普通に行われていたことと認められる。そして、凍結真空乾燥された周知のワクチンを人体に投与するには該ワクチンが収容されている収容器内へ水を吸引して溶解しなければならないことは技術上自明である(前掲甲第二号証によれば、本願明細書にも「凍結真空乾燥されたワクチンを再生するのに充分な量の水が注射器内に引き入れられる。」(第一一頁第一八行ないし第二〇行)と記載されていることが認められる。)。また、成立に争いのない甲第三号証によれば、第一引用例記載のアンプルは、その構成からみて、人体に投与されるのに適当量の注射剤を密封しているものと認められる。
そうであれば、本願第一発明と同様に、プラスチツク材料から作られた収容器部と中空な針から成る針部とを有し、該プラスチツク材料が室温において可撓性を有し、該中空な針が該プラスチツクの収容器部から伸びてそれにより該収容器部が押し潰される時に流体がこの収容器内から外へと該針の尖端を通つて移されるようになつている第一引用例記載のアンプルにおいて、収容器部に用いるプラスチツク材料として第二引用例に開示されている室温において弾力的な可撓性を有するものを採用し、かつ前記周知慣用の技術をこれに組み合わせて採用し、収容器内に液状の注射剤に代えて凍結真空乾燥されたワクチンを人体に投与されるのに適当な量(一回分)密封するように構成することは、当業者が容易に想到し得たことであり、技術内容からみてその組合せに格別の困難があつたとは認めることができない。
この点に関し、原告は、ワクチンの特殊性にかんがみれば、貯蔵、輸送の点及び投与の際の衛生、安全性の点を考慮していかなる使用形態とすべきかが問題なのであつて、それを解決したのが本願第一発明である旨主張する。
しかしながら、本件優先権主張日当時、液状ワクチンを凍結真空乾燥すること、及び生物学的製剤を最終容器に分注し乾燥する方法において一回の投与量を分注する容器としてアンプルを使用することはいずれも周知であり、乾燥状態の固形注射剤をアンプルに密封することが普通に行われていたことは前述のとおりであるから、これら周知慣用の技術を用いてワクチンを安全、衛生的に貯蔵、輸送し、かつ簡単な操作で使用するという技術的課題を解決するために、本願第一発明のように構成することが当業者にとつて格別困難であつたとはいえない。原告は、前掲乙第二号証に開示されているアンプルはガラス製で充填する対象が一般の化学製品である点で本願第一発明とは異なる旨主張するが、乙第二号証に基づいて認定した技術は、乾燥状態の固形注射剤をアンプルに密封することであつて、その収容器の材料、充填対象を認定の資料にするのではない(本願第一発明の収容器の材料は第二引用例に開示され、充填対象は周知である。)から、原告の右主張は理由がない。
また、原告は、審決は「本願明細書第五頁にも記載されているとおり、液状ワクチンはアンプル内に細分されそれから凍結真空乾燥されていたものである」と認定しているが、このアンプルは多量のワクチンを保持するための製造用のアンプルであつて、一回投与分量のワクチンでない旨主張するが、本願明細書第五頁に記載されたアンプルが通例の用法と異なつた多量のワクチンを保持するためのアンプルを意味するかどうかは明確でなく、また原告主張のとおりであつたとしても、前述の本願第一発明の容易推考性になんらの影響も及ぼすものではない。
さらに、原告は、第一引用例記載のアンプル体中の注射剤は液状であり、ワクチンの凍結真空乾燥した注射剤が本件出願当時周知であつても、第一引用例記載の液状注射剤に代えてこのような固形物を密封することは当業者が容易に推考できるものではない旨主張する。
しかしながら、本願第一発明において収容器内に密封される凍結真空乾燥されたワクチンも使用に際して水に溶解するものであり、このように乾燥状態の固形注射剤をアンプルに密封し、使用に臨み水に溶解することは本件優先権主張日当時普通に行われていたこと前述のとおりであるから、第一引用例記載の液状注射剤に代えて固形物を密封することが当業者にとつて格別困難であつたとはいえない。
なお、原告は、第一引用例記載のアンプルは室温において弾力性があるプラスチツク材料であり、液体を吸引することが可能であるとする被告の主張は誤りであるとして、その理由を詳述しているが、前掲甲第三号証によれば、第一引用例記載のアンプルが室温において弾力性があるプラスチツク材料であることは第一引用例に明記されていないことが認められ(この点は審決が本願第一発明との相違点であると認定しているところである。)、したがつて、第一引用例の記載から直ちに該アンプルが液体吸引可能とはいえないが、第二引用例には、室温において弾力的な可撓性を有するアンプルが開示され、第一引用例記載のアンプルにおいて、収容器部に用いるプラスチツク材料として第二引用例記載のものを採用することは当業者が容易に想到し得たこと前述のとおりであるから、第一引用例記載のアンプルが原告の主張に係るようなものであることは、その収容器内に人体に投与されるのに適当な量の凍結真空乾燥されたワクチンを密封することの妨げになるものではない。
したがつて、収容器内に人体に投与されるのに適当な量の凍結真空乾燥されたワクチンを密封するようにした点は第一引用例、第二引用例の記載及び当業界における周知技術に基づいて当業者が容易に想到できたものとした審決の判断に誤りはない。
3 次に、原告は、本願第一発明は審決の取消事由(一)ないし(六)記載のとおり従来技術に比して優れた作用効果を奏するものであつて、審決は本願第一発明の奏する顕著な作用効果を看過した旨主張する。
本願明細書に記載された本願第一発明の奏する作用効果は、前記1(三)認定のとおりであつて、原告主張の作用効果の全てを列挙していないが、その技術的課題、構成からみて、本願第一発明が原告主張の作用効果を奏することは、当業者にとつて自明ということができる。
しかしながら、一回の投与毎にワクチンの全量が投与されるので投与時のワクチンの汚染を回避でき衛生的な状態で正確な量を投与できるという(一)の作用効果、ワクチン汚染の問題を確実に回避できるのみならず、投与時の操作が簡便にできるという(二)の作用効果、ワクチンが凍結真空乾燥した状態で人体投与に適当な量で収容されているため、コンパクトで軽く、貯蔵、輸送上便宜であり低価格なワクチン分配装置が提供されるという(五)の作用効果、及び凍結真空乾燥ワクチンから注射液を使用直前に調整投与でき、かつ一回分ずつの投与ができるのでワクチンの無駄浪費を回避できるという(六)の作用効果は、第一引用例記載のアンプルにおいて、収容器部に第二引用例に開示された弾力的な可撓性を有するプラスチツク材料を使用して周知の凍結真空乾燥ワクチンを人体に投与されるのに適当な量(一回分)密封することによつて当業者が通常予測し得る作用効果というべきである。また、凍結真空乾燥したワクチンをそのまま最終使用形態としたもので安全で衛生的であるという(三)の作用効果、及び液状ワクチンに比して貯蔵安定性がよく長期間にわたつて保存され得るという(四)の作用効果は、周知の凍結真空乾燥ワクチンを前記アンプルに密封したことによつて当然に奏し得る作用効果にすぎない。
そうであれば、原告主張の本願第一発明の奏する作用効果をもつて第一引用例及び第二引用例記載のアンプル及び右周知技術から当業者が予測することのできない顕著なものということはできない。
この点に関し、原告は、本願第一発明は、従来から要望されながら、長年にわたつて満たされなかつた貯蔵輸送が便利であり、注射操作が簡単な、さらに低価格の一回分のワクチン分配装置を提供するという技術的課題を解決したものである旨主張するが、第一引用例記載のアンプルにおいて、第二引用例及び前記2認定の周知慣用の技術を用いて、ワクチンを安全、衛生的に貯蔵輸送し、かつ簡単な操作で使用するという技術的課題を解決するために本願第一発明のように構成することが当業者にとつて格別困難であつたといえないこと前述のとおりであるから、このことから本願第一発明に当業者の予測し得ない作用効果の顕著性があるとはいえない。
したがつて、審決には本願第一発明の奏する顕著な作用効果を看過した誤りはない。
4 以上のとおりであつて、本願第一発明と第一引用例記載のアンプルとの相違点である収容器内に人体に投与されるのに適当な量の凍結真空乾燥されたワクチンが密封されている点についての審決の判断は正当であり、かつ審決に本願第一発明の奏する顕著な作用効果を看過した誤りはない。
三 よつて、審決の違法を理由にその取消しを求める原告の本訴請求は失当として棄却することとする。
〔編注〕本願発明の要旨は左のとおりである。
1 プラスチツク材料から作られた収容器部と中空な針から成る針部とを有する皮下注射用注射器及び人体に投与されるのに適当な量のワクチンを有するワクチン分配装置であつて、該プラスチツク材料が室温において弾力的な可撓性を有し、該中空な針が該プラスチツクの収容器部から伸びてそれにより該収容器が押し潰される時に流体がこの収容器内から外へと該針の尖端を通つて移されるようになつており、該ワクチンが該収容器内に凍結真空乾燥された状態で密封されており、それによつて該ワクチンが貯蔵及び積送のために保存されさらに該注射器が該貯蔵と積送の間中漏れないように保護されていることを特徴とするワクチン分配装置(以下「本願第一発明」という。)。
2 室温において弾力的な可撓性を有するプラスチツク材料からなる管状収容器部と該収容器部から外へ伸びた中空な針から成る針部とを各々有する複数の皮下注射用注射器、各管状収容器部内に収められそしてその中に密封された一回分の量のワクチン、及び該複数の注射器を包み入れそしてその中に注射器を密封している気体や湿気や光を通さない袋から成り、該ワクチンが凍結真空乾燥されていることを特徴とする結合体。
3(a) 管状の可撓性注射器に人体に投与する濃度にまで希釈された水状のワクチンを満たす工程、
(b) 該ワクチンを凍結する工程、
(c) 該ワクチンを凍結真空乾燥する工程、
(d) 無水状態下で閉じられた該注射器を密封する工程、
(e) ワクチンを満たしそして密封した該注射器を気体や湿気や光を通さない袋の中に包み入れて密封する工程を有することを特徴とする分配と貯蔵と投与とに備えるためのワクチン処理方法。
4 前記1に記載の皮下注射用注射器内の該凍結真空乾燥されたワクチンを再生するために充分な注射液用の水を少なくとも収めている別個になつた容器を有することを特徴とするワクチン分配装置。